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2006年 03月 01日
ヨーロッパやアフリカを旅していると必ず出会う、物乞いの風景。
日本ではあまり見かけない。 ホームレスとはまた違う、物乞い。 スーパーの出入り口に子供を連れて立っていたり、信号待ちの車に声を掛ける人も居れば、メッセージを書いたボードと空き缶を置いた横で地面につっぷした状態の人。 ホームレスほど衣服がボロボロなわけでもなく、鼻ピアスに長髪刈り上げスタイルの若者だったり(このスタイルの若者たちはなぜか必ず大型犬を連れている)、様々なのだ。 貧乏旅行していた私は、実際彼らに出会った場合断るようにしていたが、執拗に金を要求してくるわけではなかった。 日本から来た私にとって、彼らはなぜ働かないのか疑問だった。もし生活するに足りうる金を物乞いで得られれば、彼らは働くのだろうか。 貧しいからと人様から金をもらうより、「働け」と。 しかし、留学していた語学学校の授業でその話題が出たとき、ふと欧米人と日本人の考えに差があることに気づいた。 欧米は、キリスト教という宗教的な理由、また歴史的に階級社会であったという理由から、富めるものは貧しきものを救わなければならないという考えが根底にある。 悪く聞こえるかもしれないが、欧米での富めるものは、自分たちは貧しきものよりも立場が上だから、救ってあげなければ、という考えをすることが多い。 一方、日本人は、人類みな平等の精神で、蔑みもしないが、救いもしない。 人に甘える前に自分で何とかしなさい、という考えをすることが多い。 物乞いであるがゆえに、まっとうな仕事につけない悪循環も背景にあるけれども、日本とは異なり、移民も多く、貧富さが大きいヨーロッパでは、インドのカースト制度のように、物乞いという方法が金を得る一つの手段となっているという現実がうっすらと見えてきた気がする。 # by colo-colo-blog | 2006-03-01 16:19
2005年 12月 21日
すでに多くのバックパッカーの方々は利用されていますが、海外で出版されているガイドブックは、貧乏旅行をする身にとってとても便利な内容となっています。
代表的なのが、「Lonely Planet」、「Let's Go」、また「Rough Guide」。 どのように便利かということを、下にまとめてみました。 --------------------------------------- ■バックパッカー向けの情報が充実 「地球の歩き方」をはじめとする日本のガイドブックは、写真も多く、読み物としては大変面白いものですが、高級ホテルやレストランなど、バックパッカーには不要な情報も多々盛り込まれています。 一方、海外のガイドブックには、安い宿やレストラン、インターネットカフェの場所など、バックパッカーのように安く・長く旅する人達のための情報が、ギュッと凝縮されて掲載されているのです。 --------------------------------------- ■写真の掲載が少ない 海外出版のガイドブックは、掲載写真が少なく、ほぼテキストだけで説明されているため、「さてどこに行こう」と観光場所を探す場合は不便なのですが、逆にテキストだけから自分の頭の仲でイメージをつかんだというメリットによって、実際その場所を訪れたときの感動は、前もって写真を確認していた場合よりも、何十倍も大きくなります。 日本人観光客は、ネットやTV、ガイドブックなど、目から入ってくる情報には事欠かないため、実際その場所を訪れてみて、「なんだ、こんなもんか」と冷めた感想を抱く方々が多いので残念です。 それが例えささやかな観光場所だったとしても、素敵な感動を得られるよう、自分の下準備自体を変えていかなければいけないと思います。 --------------------------------------- ■情報が網羅されている さすが欧米人向けに作られたガイドブックということで、どのエリアでも、「ベジタリアン向け」のレストランや、「ゲイ・レズビアン向け」のスポット、「夜遊び派」スポットなどが、必ず掲載されています。 また各国ごとに、英語が通じる確率や、一言会話、その街の危険性などがまとめられていて、便利です。 --------------------------------------- 下に、代表的なガイドブック三冊についてまとめます。 ■Lonely Planet 私が実際、ヨーロッパ旅行時に使用していたものです。 始めは使い勝手が悪く感じるのですが、情報の網羅量やパターン化された記載方法に慣れるともう手放せなくなります。 数年前から日本語版も出版されるようになりました。略したがりの日本人の中には「ロンプラ」と略して呼ぶ人もいますが、私は反対でーす。 ■Let's Go スペイン・ポルトガルは、知人から譲り受けたこのガイドブックで巡りました。記載方法などLonely Planetとタイプが似ています。 ■Rough Guide イタリアのミラノのYHで知り合ったアメリカ人女性が持っていました。「みんなが行くレストランに行くのはつまらないから」。 Lonely PlanetやLet's Goが大衆向けとしたら、このRough Guideは、皆と同じじゃ嫌という穴場狙いの人向けのようです。 --------------------------------------- 私は帰国前、日本について書かれた海外出版のガイドブックが欲しくなり、本屋へ行ってみました。 日本というとやはり、おかっぱ頭の着物姿が象徴的らしく、どのガイドブックも、これ何年前?というような写真が表紙を飾っていたのですが、その中で一番日本人が見ておかしくないだろう写真が使用されていたのが、「Lonely Planet」でした。 そして、二番目におかしくなかった「Rough Guide」と共に二冊購入し、今でも事あるごとに、日本の観光地についての知識を、これら本から得たりしています。 # by colo-colo-blog | 2005-12-21 16:56
2005年 12月 20日
ヨーロッパを旅するにあたって準備期間にイロイロな本を読んだ。
歴史や穴場の観光地についての本、基礎知識が無いと旅をしていてもツマラナイ。 その中でも、お気に入りだったのが、 妹尾河童さんの「河童が覗いたヨーロッパ」。 ご存知、舞台美術家として知られる河童さんが、今から30年以上前に一年間かけてヨーロッパ中を旅したときの記録なのだが、これがまた・・・秀逸! 絵も文章もすべて手書きで旅行中の出来事や発見について書き綴られていて、活字でつづられているアリガチなエッセイ・紀行文とは一線を画している。 滞在した宿すべてについても、詳細な間取り図を描いて、良かった面・悪かった面すべて思い出として書き込む。 私も、河童さんの足元には及ばないけれど、旅行中の宿泊先について、すべてメモをとった。こうすることによって、なにかしら不具合がある安宿(「水道水が塩味がする」とか「鍵が壊れている とか)に泊まったときも、なんだか落ち込みが抜けて、楽しく思えてくるのだ。 日本の家族へ向けてほぼ毎日絵葉書を送ったのも、河童さんを真似て。 楽しい旅をするためのささやかなテクニックは、この本から学べたのだと思う。 河童さんが旅した時代と比べると、今では旅先に関するサマザマな情報が簡単に手に入るという点ではシアワセだけれど、逆に、もっともっと情報が少ない時代に私も訪れることができていたら、より感動が増しただろうと、羨ましい気持ちの方が大きいな。 # by colo-colo-blog | 2005-12-20 22:21
2005年 12月 17日
ヨーロッパの鉄道が乗り放題になるEurail Pass。
日本のガイドブックには、「日本で購入しなければならない」という訳の分からない規則が書いてありますが、それはウソ。この鉄道パスは現地で購入できます。 Eurail Passのオフィシャルサイトで、「Where to buy」-「Buying in Europe」というコーナーで購入できる駅のリストが確認できます。 といっても、私はリストに載っているナポリの駅に買いに行きましたが、怖い顔をしたおじさんに「今はダメ」というよく分からない理由で断られました。 結局、ドイツのフランクフルトで、流暢な英語を話してくれるお姉さんから、無事購入できたのですが、値段は、日本で買うより高くついたと思います。 というのも、このEurail Pass、毎年ドルで値段が確定するため、2003年当時のドル:弱、ユーロ:強の状況下で買うと、日本円換算したときにかなり損になるのです。 購入後半年以内に使用し始めなければならないという規則があったため、ヨーロッパ旅行の前に、半年間のマルタ留学があった私には、日本での購入が不可能なのでありました。 # by colo-colo-blog | 2005-12-17 17:51
2004年 03月 21日
![]() ヨーロッパの温泉はぬるく、日本人には物足りない。 でもこのアイスランド名物ブルーラグーンの温泉は、端のほうはぬるいが、湯気がモクモクと立ち上る中央部分へ行けば、熱々の湯の供給口があるため、日本人にも十分な暖かさ。 私が訪れた三月は、雪こそ降らねど、気温は0度。 濡れた頬肌は凍て付いてやや痛いのだが、体はホッカホカ。 三時間十分に浸かった。 入浴施設には、サウナ小屋があったり、ここBlue Lagoonで採れた白泥(顔に塗るスキンケア)が無料で置いてあったりする。有料で、温泉に浮かんだまま受けられるマッサージもあるそうだ。 日本の温泉施設同様、食堂や土産屋などがあり、入浴後の休憩は可能。 ただし迎えのバスが中々来なかったから、温まった体もまたすっかり冷え切ってしまった。 2004年 03月 06日
北アイルランドにある景勝地ジャイアンツ・コーズウェイ(「巨人のあぜ道」)。
昔々、北アイルランド側に住んでいた巨人が、海をまたいでスコットランド側に住んでいた女の巨人に恋をして、彼女に会いたいがために、海に岩を投げ込んで道を作ろうとした、そんな伝説が残る。 科学的な説明だと、昔、火山が爆発して流れ出た溶岩が海水で急激に冷やされてできたものだということ。こんな人工的な形が自然に造られるとは、、、科学って不思議。 そんなことを考えながら、このデコボコの段々を登っていると、突然背後から拍手が聞こえてくる。振り返るとおばさん三人組が、一組のカップルに拍手を送っていた。見ると、どうやら結婚の約束をしたようで。こんな場所でプロポーズとは、粋じゃのー。 ![]() 2004年 02月 28日
![]() アイリッシュグリーンは美しい。 国旗も緑 ポストも緑 ![]() 私が訪れた季節は冬だったけど、こちらの予想に反して、美し過ぎる木々の緑。 留学するなら、人も優しいアイルランドもお薦めです。 。 2004年 01月 19日
百歩歩けば老舗なカフェにぶち当たる街ウィーン。
ザッハトルテとマリアテレジアの名が付くコーヒー。 全席喫煙OKなのが玉にキズなんだけど、悔しくもそれがまたこの雰囲気にハマってるんだな。 ![]() 2003年 12月 24日
スウェーデンでは、クリスマスより四回前の土曜日から、窓辺にこのランプを飾ります。
一回目の土曜日に下から一段目のランプを灯し、二回目の土曜にその次の段・・・・という風に徐々にランプを灯していき、とうとうクリスマス前の最後の土曜日に一番上の明かりを灯すわけです。 日本のお正月のお飾りみたいに、どのお家にも飾られているので、外から見るとすごく綺麗なのです。ど派手でカラフルなクリスマス飾りも良いですが、スウェーデンのシンプルさが好きです。 小さなお人形が掲げている言葉「God Jul」(発音:グッジュール)はスウェーデン語で「メリークリスマス」を意味します。(Julがクリスマスを指すわけです。) ちなみに「Happy New Year」は「Gott Nytt År」(発音:ゴットニットオール)と言います。 つまりクリスマスには、「God Jul och Gott Nytt År!」(メリークリスマス、そしてハッピーニューイヤー!)と叫ぶのです(ochはandの意味)。 ![]() 2003年 12月 18日
ガムラスタンのマーケットにあった、おにんぎょやさん (ちょっとボケててごめんなさい)。スウェーデンのお人形はまた、グロテスクじゃなくて可愛いのだ。 2003年 12月 18日
ガムラスタンという旧市街の広場で、クリスマスマーケットが開かれていました。
レトロでシンプルな町並みが続くガムラスタン。「魔女の宅急便」のどこかしらの場面でモデルにされたそうな。 (※メインモデルは、クロアチアのドブロブニクだけどね。) クリスマス・マーケットもまた、ドイツやフランスの大都市に比べると、派手さが無い。 そんなスウェーデンが好き。 ![]() 2003年 12月 15日
![]() ザルツブルグに到着したのはちょうど雪のあとの日。その夜のクリスマスマーケットの雰囲気はとても幻想的でした。 マーケットを歩いていると、スピーカーからコーラスのサウンドが聞こえてきた。 CDと思っていたら、コートや帽子、手袋を着込んだ合唱隊が教会の前で、美しい歌声を聞かせている。 ![]() ドイツ西側の賑やかなマーケットを見てきた私の目には、ここザルツブルグのクリスマス・マーケットがなんとも神聖で、正しいものに見えました。 ![]() 2003年 12月 14日
![]() ![]() シュトラスブルグはワインで有名なアルザス地方にある、クリスマスマーケットで有名な街。 12月の週末に訪れてみると、観光客でごった返していて、どこのホステルも満室。 ![]() 夜行でパリに戻るかと、あきらめかけたそのとき、ダメもとでお伺いに行ったプチホテルで、24.50ユーロ(3000円強)のシングルルームを見つけました。 フロントのおじさんは終始にこやかで優しいし、窓からこの夜景が見れときは、なんとも得した気分になったのでありました。 ![]() 2003年 12月 01日
暗くなった街を歩いていて、突然この光景に出くわす。
昨日は無かったような・・・・ああ、そうか。 今日は12月に入って初めての夜。 シンプルさがなんとも言えず美しいのだ。 ![]() 2003年 11月 05日
今日はピサの斜塔へ行ったときに知り合った、ヴェネツィア滞在中の日本人女性と待ち合わせ。
ヴェネツィアの中をいろいろと一緒に周った。 今日もヴェネツィアは今日も快晴。 でも、フィレンツェであんなに雨に嘆いた私も、ヴェネツィアでは一度でいいから大雨に会ってみたかった。 妹尾河童さん曰く、雨が降ると、水位が上がり、ヴェネツィアの歩道まですべて運河になってしまうのだとか。 その話を彼女にすると、「サンマルコ広場までゴンドラが乗り入れるらしいよ」と教えてくれた。 でも、皮肉なもので、今度はまったく雨に恵まれず。残念無念。 快晴の空の下撮ったサンマルコ広場↓ ![]() -------- 午後は、近郊の街パドヴァへ。 彼女はこの町でイタリア語の語学学校に通っていたとのこと。 パドヴァ大学のあるこの街は、ヴェネツィアと打って変わって車のある普通の都市。 やはりすぐ隣にいる人と会話をするのにも、少し声を張って耳を傾けなければ聞こえない。 やっぱりヴェネツィアのように車が走っていない社会は素晴らしいな。 そのことを彼女に話すと、「そう確かに。パドヴァに来るとなんか落ち着かないと思っていたら、車のせいだった。」と。 彼女曰く、ヴェネツィアの人でも車を街の外に持っている人はいるのだが、運転がかなり下手だということ。 その代わり、自分のボートを持っているヴェネツィア人は多いとか。 ---- パドヴァの街を歩いていると、ちょうど卒業のシーズンなのか、学位を取った学生に向かって、仲間が祝福の歌を歌っている。 「♪ドットーレ、ドットーレ」 イタリアの大学の授業料は日本に比べて安く、20万くらいで行けるそう。 だから皆8年くらい掛けて、働きつつ、ゆっくりゆっくり通うらしい。 そういえば、パレルモからバースに向かっていた夜行列車の中で出会った男性は、警察で働きながら学生をしていると言っていたっけ。 卒業する学生ひとりひとりについて、模造紙が張られ、友人たちが模造紙になにやらメッセージと本人の似顔絵(大概、卑猥な絵なのだが)を書いて、祝福している。 なんだかうらやましくなった。 日本の大学=学費が高い。学生は遊んでばかり。 企業も学生が在学中に何を勉強したかなんて気にしないしね。 日本も学費をもっと安くして、親が学費を払うのではなく、子が働きながら時間を掛けて学位を取るようなシステムになればいいのにと。 つくづく日本が嫌になっていた。 ---------- 町の中心にある、ドゥオーモや、礼拝堂で有名なフレスコ画を見学。 ドゥオーモは、他都市にあるものと比べて、よりモダンなものだった。 パドヴァは、大都市で交通不便なヴェネツィアと比べ、物価が安いらしく、彼女は室内履きとパンを買っていた。 夜、彼女の語学学校のクラスメートが働いているというチャイニーズレストランで食事。 美味い。ひさびさのレストラン食に舌鼓。 2003年 11月 05日
昨日の夕暮れからヴェネツィアの街を散策し、すぐに気に入ってしまった。
サンマルコ広場あたりのメイン観光エリアの美しさもさることながら、ふと入った裏路地、運河の上に無数にかかっている橋の上から眺めた生活観のある風景。 ![]() 狭い通りには、観光向けだけでなく、ガラス細工やパスタ屋など様々なSHOPが小奇麗に立ち並び、夜ロマンチックな風景を生み出している。 ![]() なぜだかラーメン博物館の雰囲気を思い出した。 昔ながらの下町風景を生かして、観光利用されている点がかぶったのだと思う。 日が沈んでライトアップされた海辺の景色を眺めていると、なぜか自然にホワイトクリスマスをはじめ、数々のクリスマスソングを口ずさんでしまった。 ![]() ----- なんでこんなにヴェネツィアを気に入ってしまうんだろう。 フィレンツェと違って、天気に恵まれているから? 一夜明けて今日、通勤通学する地元の人々に混じって、駅近くの裏道を歩いているとき、その謎が解けた。 この空間には、車が一切無いのだ。 人々の移動手段は、水上フェリー。 思い起こせば、ヴェネツィア中心部では、一度も車やスクーターを見たことが無い。 だから道を歩いていても、自動車を気にすることなく散策できる。 車の音で遮断されずに会話が楽しめるし、車の音では普通かき消されてしまうようなささいな生活音を聞くことが出来る。 人間は、無意識のうちに自動車からストレスを得ている。 車の存在しない生活って、こんなにも安心できるんだと気づく。 そんな空間の中をいくら散策しても、飽きない。 無数に張り巡らされている小道の多さと、店の多さ。 たまにふっと路地の奥へと入ってみると、突然生活感のある風景に出会う。 いくら写真を撮っても撮り飽きない。 ![]() 疲れたら、水上フェリーに乗ってどこへでもいける。 通りすがりにゴンドラからアコーディオンの音色が聞こえてきたり、サンマルコ広場のカフェの前でミニオーケストラが演奏していたり、素敵な無料のBGMは、ヴェネツィアの街だからこそ似合う。 ユースホステルで出会ったイギリス人の女の子が、しょっちゅうリラックスしに来てしまう理由がよく分かる。 ![]() マーケットを訪ね、さすが魚介類の豊富さと、野菜の多さに驚き、住んでみたいと誘惑された。 イタリアに住んで、自然とセンスがいい服を着るようになっている自分を想像してしまったり。 つくづく、イタリアのSHOPのショーウィンドーのセンスの良さにつくづく感動してしまう。 洋服やでも、食料品店でも、花屋さんでも、思わず足を止めて見とれてしまう。 きっとイタリアにはセンスの悪いものなんて売っていないんだろうな。 2003年 11月 04日
ヴェネツィアのユースホステル。
駅の目の前の水上バス乗り場からGiudecca島へ渡ってすぐ。 海が目の前で、対岸にある町並みが見える。 ![]() きれいで清潔、広い。 部屋にはキー付ロッカーもあるし、食堂で夕飯も食べられる。 部屋は二段ベットが八個ほど並び、16人許容だが、シーズンオフのためか、人数も少なく、二段ベット二つずつことに、壁で仕切られているため、ある程度のプライバシーは保たれる。 夕刻前に到着し、荷物を置いてバスルーム(シャワールーム&トイレ)へ行くと、もうシャワーを浴びている人がいる。 「ハロー」と言っても、なにか気になったらしくその方向を見て返事が無い。 ちょっと気分が悪くなったが、そのあとホステルの前のベンチに腰をかけていたら、話しかけてきてくれた。 彼女はイギリス人で、Oxfordの学生。ヴェネツィアには勉強の合間を縫って、もう15回くらいリラックスしに来ているのだとか。(もちろん遊ぶのではなく、課題持込で大変そ。) イギリスやアイルランドでは、格安航空が盛んで、こないだピサで出会った女性も、エディンバラからeasy jetを利用して来たと言っていた。(4000円くらいだったとか) それまで、安さにうさんくささを感じていたが、実際に利用している人に出会ったおかげで、私も格安航空を使ってみようかという気になる。 彼女の専攻は移民問題とのことで、昔レッチェに二年間住んで、移民たちに英語を教えていたそう。なので私の英語も何箇所か直してくれつつ、Good Englishと誉めてくれた。 イタリア語も当然しゃべれるらしく、変な男にナンパされたときは、イタ語でやり返すらしい。 ここのユースホステルの夕食のサイドメニューにあるスピナッチ(ほうれん草)のソテーの美味しさを教えてくれたのも彼女だった。 ---- 夜部屋で日記を書いていると、隣のベッドのドイツ人の女の子が帰ってきた。 会うなり、「Hello,my name is...」と自己紹介してくれるほどフレンドリーな子。 背が高く、180近かった。 友人たちと一緒に来たが、ここが気に入ったので、一人で残ってヴェネツィアを満喫しているのだとか。 「今日、マーケットでこれを買ったのよ。」と、スイッチを入れると目が赤く点滅してニャーニャーと動き出す猫の人形を見せてくれた。 2003年 11月 04日
昨晩、汗だくで歩き回ったわりに、たいしたものは食べず。
グルメの街ボローニャと言われるからには、スパゲッティ・ボロネーゼなんて軽く食べてみたいなと思いつつ、朝食は近くのBarで地元人に混じりながら、相変わらずのHot Latteとお菓子パン二つをカウンターで食べる。(地元人に混じっていると、自分がその土地の空気に溶け込んでいるような気分になって、嬉しくなる。) ボローニャには他のイタリアの都市と比べて、主だった観光スポットがない。 でも、住んでみたい街No.1と言われるだけあって、見るべき所は何箇所かあって、その一つが駅近くから広がる通り沿いに作られている歩行者アーケード。 言われるまで特に気にもならない普通のアーケードだが、日本のその辺にある商店街のアーケードとは比べ物にならないくらい歴史が古く、当時、馬に乗ったままそこを通行できるようにと、天井が高く作られているそう。 雨にぬれずに歩ける。 ![]() もう一つ気になるのが、広場にある噴水。 人魚の乳首から水が噴出している。 日本人観光客に変な人気が出そうですね。 ![]() その他、塔や教会など、派手さはないけれど可愛げな姿の建造物もあった。 --- やはり、グルメの街というフレーズに食いしん坊魂が騒いだのと、ここ数日の節食生活の反動でか、駅のセルフサービスレストランに入り、サラダ・パスタ・ブロッコリーと豆の惣菜の3点を買う。 ここぞとばかりに食いだめのつもりが、胃が小さくなっていたのか、残してしまった。 8.7ユーロが台無し。 駅のBarで水を買おうとしたら、カウンターのお兄さんが、「ジャパニーズ?」と聞いてきて、「ナカムラ シュンスケ イェーイ」と親指を立てていた。 レッジョのファンらしい。 なんか嬉しいね。 ボローニャを発って、ヴェネツィアへ。 車窓から見える郊外の風景を見ていると、この地域の家々はなんとなく、日本に似ている。 家の形と屋根瓦。 日本では瓦は、黒やグレーが主だが、こちらでは赤茶に統一されている。 2003年 11月 03日
サンマリノを訪問してからヴェネツィアまで行くのは遠いので、グルメの街として名高いボローニャに一泊することにした。
この街、イタリアでのアンケートで住んでみたい街No.1に選ばれることもある人気の街。 ボローニャ大学があるので、学生の街としても有名。 駅に着いたのは夕方。 ユースホステルはバスを利用しなきゃいけない距離らしいので、今日は安宿でSingleを取る予定にしていた。ヴェネツィアまで行くとホテル代もかさむだろうが、ボローニャだったらまだマシかもと。 駅で、感じのいいTourist Informationのお姉さんから安宿のリストをもらって、駅近の宿から順に片っ端から周る。 ところが、週末でもないのにどの宿もSingleは満室。 ツインの値段にはとても手が出ないので、荷物を背負ったまま汗をかきかき、町中の宿を訪ねてみても満員御礼。 今までの経験から、探せばどこかしらは空いているだろうという自信はあったが、体力も限界。 先に空室確認した方が懸命と、電話ボックスへ。 普通だったり、かかってもイタリア語のメッセージが流れて意味不明だったりしたが、やっと繋がったこのホテルのおじさんに、必死に英語で確認。 安宿と言えども、さすがHotelスタッフ。英語で返してくれた。 シャワー・トイレは別。朝食なしで40ユーロ。 ボローニャをなめていた。 TV、洗面、ビデはついていて、無駄に広い大きさ。 TVなしのもっと狭い部屋を尋ねるべきだったか。 まあ、必死で探し回った結果だし、PC・ケイタイの充電や、衣類の洗濯をして、思う存分シングルルームを満喫するか。 これからは、ユースホステルしか使わないぞ。そう心に決めた夜だった。 今日、宿探しをしているとき、やたらと「Albergo」と冠の付く宿名が多いことに気づき、「地元のチェーンホテルかな?」なんて考えていた。 これがイタリア語で「宿」を表す意味の言葉だということにあとで気づいた。 2003年 11月 03日
4泊したフィレンツェの街を発ち、サンマリノ共和国へ。
リミニ駅まで列車で行き、そこからバスを利用する。 (バスの待ち時間のあいだだけ少し周ったリミニの町もなかなか落ち着いていて素敵。) 全く何の知識も無く、ここだけ国が違うというところで興味を持って訪れる観光客は沢山いるだろう。 私もバスが到着するまで、サンマリノが丘の上にある国なのだということに気づかなかった。 この国はイタリア内部にある世界で5番目に小さい国。 面積:61平方キロメートル 人口:30,000弱 パスポートチェックも不要。公用語はイタリア語。ユーロ通貨使用可。 イタリアの中の観光地の一つという気分は抜けない。 町の中心部は城壁になっていて、丘の頂点には砦がある。 受付では、にこやかなお兄さんとおじさんのスタッフがゲームをしながら暇をつぶしていた。 この時期、お客が少ないらしい。 砦からは、城下に広がる緑の丘陵地帯が広がっているのが見える。 ![]() ふと気づくと、この砦の柵が、アルファベットの「M」という字に見えることに気づく。 サン・マリノの「M」かな?なんてベタな予測。 ![]() 帰りのバスの時間まで時間があったので、政庁前の広場で衛兵の交代を見てたり、絵ハガキや切手を買ったりして時間をつぶす。(切手はさすがにイタリアと共通ではなく、サンマリノ独自のもの) こんな小さな観光地でも、さすがに日本人観光客一人とすれ違う。 私のような一人旅をしている男の子。 異国の地で日本人と出会うと何だかきまづくて、言葉は交わさず。 ところが、彼にはその一ヵ月後、ポルトガルのリスボンのユースホステルでばったり顔を会わすことになる。だいたい行く場所って誰でも同じなんだな。 2003年 11月 02日
アカデミアでダヴィデを観終えて、駅のBarでクロワッサン2コとホットラテの朝ごはん。
ホットラテ(ビヤンコ=白)は昨日も飲んだ。 ただのホットミルクと違い、カプチーノなどに入れるミルクをそのまま出してくれる。 ほんのり甘く泡だったミルク。これで1ユーロならヤミツキになる。 昨日再開したマルタ友達と、昼に待ち合わせて列車で一時間ほどのところにあるピサの街へ。 駅に降り立つと、日曜だからか人も少なく、以外に閑散としている。 斜塔はどっちだろうか、二人で駅前の地図を見ていると、たまたま同じ列車で来たという日本人の女性に出会った。 意気投合して一緒に斜塔へ向かう。 駅からそう遠くも無く、閑散とした通りを見当つけて歩いていくとすぐに辿り着いた。 斜塔の周りはどこから沸いて出てきたのか、さすがに観光客が多く驚く。 ![]() 今日は運良く、ほどほどに晴れていて、斜塔の傾きもなるほど良く分かる。 ![]() 斜塔と同じように傾いて、写真を撮ってもらった。 塔の中に上っている観光客もいたが、傾いている姿が観れただけで、三人ともなんとなく満足したので上らず。 近くの土産物屋で自宅へ送る絵ハガキと切手を買ったあと、少し話をしましょうと駅に近い見た感じボッタクリ感のないBarへ入る。 今日であった人は、スコットランドのエディンバラ大学でマスターを取るために留学していたそうで、もうすぐ無事卒業できるのだそう。それまでの間、イタリアの知人を訪ねてヴェネツィアに滞在中とのこと。 ヴェネツィアにはこれから訪問予定だったので、現地で再度落ち合う約束をした。 二人とも関西人でトークが面白く、また海外生活の疲れもあって、話が弾む弾む。 さてお会計。オレンジジュースとパニーニで10ユーロ(約1300円)。 たっ高い。 散々居座った座席チャージなのか、ここでもイタリア式席代課金法に泣く。 2003年 11月 02日
今朝はかの有名なダヴィデ像を見るために、アカデミア美術館へ。
昨日のウフィツィ美術館での教訓を胸に、予約なしで開館時間に行ってみると、期待通り空き空き。 ウフィツィと比べると小規模な美術館ながら、展示物の飾り方が秀逸で感動してしまった。 最初に絵画がいくつか展示されている部屋があり、そこから次の部屋に移動する。 入り口から右手に長く伸びているその部屋の奥正面に、ダヴィデ像が立っている。 「まだだろう」と予期しないタイミングでの対面となって、こちらは「あっ」という印象を受けるのだ。 そして、まず距離を置いて観れるので、予想以上に大きい像の迫力が一層伝わってくる。 ダヴィデに行き着くまでは、両脇にミケランジェロの未完成の彫刻が何点か置かれている。 完成品しか目にしない私たちには、大理石からどうやって人間の姿が生まれるのか不思議だが、これらを見ると、本当に石から生み出していっている過程が垣間見えて非常に面白かった。 (自分もやってみたくなる) 頭髪などは、前から後ろへ沿って、削っていっているよう。 ダヴィデに到着して、尚更その大きさに驚く。 周りを一周してみると、ダヴィデが見ている方向へ来たときに、とたんに目の眼球がリアルに生命をおびて、少しゾッとする。 この作品はダヴィデが戦闘に立とうとしているときを描いている。近くにはモニターでCGのダヴィデの顔を見れるのだが、相当に険しい顔をしている。 後ろへ周ると、左肩から右腰へたすきのようなものをかけているのも意外で新鮮だった。 歴史の教科書で見たダヴィデ像は均整の取れた体格のリアルな男性像という印象でしかなかったが、実際に見ると期待以上の感動を得られて、ウキウキ。 こっそり後ろから写真を撮ってしまったが、あとで禁止サインを見つけた。 2003年 11月 01日
フィレンツェには4泊した。
それなのに晴天を拝めたのは、、、0回。 到着した翌日にシエナを訪ねたときはまだ小雨だったが、その翌日フィレンツェ観光に当てた日が一番最悪で大雨。 この日は、マルタで出会った知人と会う約束をしていた。 朝一番でウフィツィ美術館を訪ねたあと、駅に向かい、彼女と落ち合った。 とりあえずマックで軽食を取り、情報交換してから、観光案内をしてもらった。 ![]() あいにくの雨だったが、ドゥオーモ、橋の上の宝石屋どおり、サンタクローチェ大聖堂を巡った。 ドゥオーモも大聖堂も、すべてが大きく、規模がデカい。 ![]() 彼女に聞いた話では、ドゥオーモのドーム部分の展望台は、映画「冷静と情熱のあいだ」で、出てきた場所ということで日本人観光客で上りたがる人が多いらしいが、半端無いほどキツいらしい。元添乗員が言っていたそう。 こんな雨の中、自分一人だったら面倒に思って行かなかっただろうと思うと、たまに人と周るのも利点があるなと感じる。 フィレンツェの隠れた裏通りにある有名なアイス屋さんに行き、お米のアイスを食べた。 日本人観光客に人気があるらしいのだが、路地裏にあるため見つけきらないこともあるらしい。 名前も行き方も忘れてしまったが、確かに美味しい。 その後バスで、フィレンツェ市街が見渡せる丘の上へ向かった。 天気のせいで霧もやがかかっていたが、先ほど訪れたドゥオーモ、橋まで見渡すことが出来た。 ![]() 明日一緒にピサの斜塔へ行く約束をして解散。 ----- 彼女は以前訪れたイタリアを気に入って、フィレンツェに語学留学をしているのだが、実際に住んでみると、フィレンツェの人々が一般的に言われる明るくフレンドリーなイタリア人のイメージからかけ離れていることに気づいたそう。 店員なども愛想がなく冷たいそうで、芸術の都だからかプライドが高く、フィレンツェ在住の日本人もそれに染まっている人が多いらしい。また在住日本人の中でも村社会になっているらしく、普通の日本人から見るとちょっと異様なのだとか。 そういえば、駅のインフォメーションのおばさんといい、アイス屋のおばさんといい、確かに無愛想だったな。 (注:ウフィツィ美術館に行くときに道を聞いた売店のおじさんや、到着の日バスでホステルの停留所を教えてくれたお姉さんなど、親切な人ももちろんいる。) 2003年 11月 01日
朝から大雨の中、ウフィツィ美術館へ。
場所がわからず、通りすがりの売店のおじさんに聞くと、にこやかに教えてくれた。 ガイドブックに書かれているとおり混むかもしれないから電話で事前予約していたが、それは大失敗。 予約せずとも、開館すぐの8:45に行けば空き空きで、予約手数料3ユーロ上乗せして払っている自分が馬鹿らしくなった。 大雨のせいでジーンズがビショヌレ。まだ暖房が入っていない館内では寒い。 最初観た作品の多くは、宗教がと呼んで正しいのか分からないが、「受胎告知 や「聖母の戴冠」など、マリア・イエスの誕生にまつわるものばかり。 新旧様々な画家のセンスが作品に光っていて、そういう観点でみれば面白いのかもしれない。 楽しみにしていたダ・ヴィンチの作品は数少なく、「えっこれが?」という絵もあった。 描いていた時期によって、絵のタッチも異なるのだろう。 この美術館で有名な作品のひとつが、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」。 当時、カップ麺のCMにも使われていた。 さすがに絵の分からない私でも十分楽しめるくらい、明るくて艶のあるタッチで、ヴィーナスの右隣の女性が彼女に着せようとしている布の柄も、本物のシルクのイメージできるくらい滑らかに描かれているその技法に感嘆。 もうひとつ気になったのが、カラバッジョの作品。 枝や葉、果実などを頭に飾り、半肩に布をまとい、こちらを見つめている少年の図。 なんとなく、ヨーロッパから見た日本人のイメージかな?と思わすような異様さあり。 実際、当時日本文化がイタリアへ来ていたとも考えにくいので、単なる偶然だと思う。 カラバッジョは聞いた話によると、殺人の罪を犯してマルタへ逃亡したらしい。 だからマルタの聖ヨハネ大聖堂で見た作品の方が熟年の素晴らしさがあるんだ。 2003年 10月 31日
このユースホステル、8人部屋がほぼフルだけど、皆寝るのが早い。
山奥に建っているから、することがないのかなんなのか。 なんだか風が強いのが気になる。 明日晴れるといいな。 今日デジカメのメモリがフルになったから、誰もいないトイレでパソコンを充電しつつ、PCに画像を転送した。(部屋にコンセントが見当たらなかった。) あまり他人の前でPC持っていることを見せるのが怖くて、誰か来るんじゃないかとドキドキしつつ、無事完了。 2003年 10月 31日
知り合いから聞いた話。
イタリアで何十年もツアーガイドをやっていたおじさん言ったそうな。 「イタリアで一番好きな町は、シエナだ。」 それを聞いて以来、私の中では、ヴェネツィア、アッシジと並んで、必ず訪れたい場所となっていた町シエナ。 今日の天気は曇り。 憧れの町を訪ねるには少し運に恵まれなかったが、フィレンツェから乗り込んだバスの車窓から、季節柄すでに枯れかけたトスカーナ地方の田園風景が見られたので、気分は悪くなかった。 バスを降りて、まず最初に目指すは「世界一美しい広場」と言われているカンポ広場。 中世の面影を存分に残すシエナの細い通りを見当つけて歩いていると、両脇に露天商が店を出している小さなトンネルの向こう側に、広場らしき空間が目に入ってきた。 ![]() トンネルを抜けて、広がる光景にしばし感動。 広場に面して立てられている塔を要にして、緩やかな上りの傾斜を付けるように扇形に空間が拡がっている。 この勾配によって広場全体が美しく見渡せて、なんとも中世からこんな設計技術を誇るイタリアの歴史に脱帽。 芸術うんぬん以前に、根底に計り知れない哲学が発達してるんだろうな。 ![]() 存分にカンポ広場の美しさに見惚れたあとはドゥオーモにあるピッコロ図書館(LIBARALIA PICCOLO MINEA)へ。 名前に惹かれて訪ねてみた場所だが、ここは壁一面に描かれたフレスコ画が有名だそう。 図書館と言っても、小さな部屋の四方の壁に、(恐らく)聖歌の譜面ではないかと思われる巨大な本がガラスケースの中に並べられている。 ケースの上方の壁には一面、フレスコ画が描かれている。 フレスコ画というものがどういうものか知らなかったが、精細でカラフルな色使いにより、絵全体が明るく見える。 天井の装飾も細やかで、絵と絵との間に描かれている訳の分からない模様も良く良く見ると、複数の顔が描かれていて、表情が一つ一つ異なっている。 ![]() 何より良かったのは、部屋の四方に椅子が並べられていて、あらゆる角度から座ってのんびり観察できるよう配慮されている。こういう気遣いが素晴らしい。 自宅に送る絵ハガキを書くため、もう一度カンポ広場に戻り、広場に面したBarの一つに入る。 カウンターでオーダーすると、「座って飲む?」と聞かれ、「じゃ6ユーロ。」と。 確かにイタリアのBarでは、座席料が取られるのは知っていたし、この有名なカンポ広場に面したオープン席なんだから、このくらい取られても仕方がないかと腹をくくる。 しかし痛いな。 旅の途中で、ハガキや日記を書くために座り込むことはしばしばある。 安心してBarでお茶できない観光大国イタリアの料金システムはこの先も私を首をしめるのだ。 頼んだカフェ・コンパンナは、小さなカップに入っていて、90%くらいが生クリームだった。 --- 昨日訪れたアッシジといい、シエナといい、規模が小さい町は統一感があって、タイムスリップしてしまうような雰囲気に飲まれてしまう。 ユースホステルもいいけど、節約して、その町ならではの宿屋に泊まれるよう頑張ろう。 2003年 10月 30日
列車は夕方フィレンツェに到着。
あいにく空は曇っているし、フィレンツェ駅はゴミゴミしていてガラが悪い印象を受けた。 移民も多いらしく、白人、黒人、アジア人さまざま。 駅のInformationで近くに安いホテルはないか聞こうとしたが、スタッフのおばさんのあまりの愛想のなさに、あきらめてバスでYHを目指す。 二両連結のバスは帰宅ラッシュで混んでいて、大きいリュックを背負って乗るのはちょっと忍びない。 どこで降りればいいか分からないので運転手さんに聞きたかったが、人をかき分けていく勇気もなく。 バスの窓からユースホステルのサインがないか懸命に探す。 分からなければ仕方ない、このままもう一周するか。 そう思っていたら、たまたま隣に立っていた地元のお姉さんが、肩をたたいて「ここよ」とジェスチャーしてくれた。 このバスに毎日乗っていれば、私のような旅行者を多く見かけるのだろうが、こちらから何も聞いていないのに察してくれた親切心。 あのInformationのおばさんのあとだから、余計に身にしみた。 「グラッツィエ!」 大分言いなれてきた感謝の言葉を、満面の笑みで返した。 降りてみると、同じバスに乗っていたらしき日本人男性に出会う。 あまりの混雑に気づかなかった。彼もユースホステルに行くらしい。 雨でぬかるんだ山道を5-6分登ると、ようやく今日の宿泊地Villa Camerataに到着。 これまたあまり愛想のない受付に迎えられ、無事チェックイン。 このホステルには食堂があるため、夕飯に困ることはない。 良かった。これから又あの山道を下って、食事に行く気力がない。 名前から察したとおり、昔貴族の邸宅に使われていたような建物をユースホステルにしたような雰囲気。 割と人形や彫像が苦手な私。 館内にある彫像と目を合わせないように歩く。 部屋に荷物を置く。 二段ベットが四つの8人部屋の典型的なユースホステル。(今回は正式なユースホステルのため、男女別) 運悪く、ベッドの上段が割り当てられている。飛び込み客だし、仕方ない。 夕飯は、さきほど出会った日本人男性とご一緒した。 イタリアだけに、パスタメニュー(5ユーロ)か、プリモ+セコンドが一応揃ったフルコース(8ユーロ)か選べた。 値段も安め。ここぞとばかりにお腹いっぱい食べる。 彼は日本の大学で働いている人で、今回はスイスにまず入り、鉄道でイタリアまで下ってきたそう。 スイスは物価が高いという話や、昔訪れたポルトガルの話を聞かせてもらった。 ちゃっかり食後にビールをおごってもらってしまって、、恐縮でした。 2003年 10月 30日
ローマからフィレンツェへ向かう途中で、アッシジを訪ねた。
妹尾河童さんも絶賛していた町。どうしても訪ねたかった。 泊まりにしようかどうしようか迷い、結局できるだけ先を急ぐことに。 イタリアの列車もこのときには乗りなれてきていて、自動券売機のタッチパネルもお手の物。 と自画自賛する私。 どの列車に乗ればいいのか迷っていると、たまたま通りかかった車掌のおじさんが、チケットを確認し、「ふむふむ、アッシジに行くのか」という感じで、よしこちらへ来いと席に座らせてくれた。ただし、おじさんの向かいの席。 若干、疑心を持ちつつも、そのままおじさんの向かいにいると、相手は車掌さんなので、時折席を立ち、切符拝見に行ってしまう。そのとき、なぜか私に、「これ持っといて」とばかりに、何かのケースを預けていく。 ちょっと引き気味の私。 おじさんはアッシジの手前の駅で「じゃあね」という感じでアッサリ降りていった。 もしかしたら、私が女一人だったから、安全のために同じ席に座ってくれたのかもしれない。 などと、今度は罪悪感に包まれる。 せっかく地元の人と接することができるチャンスだったのに、それを活かす好奇心もない私。 河童さんのように旅することは出来ないな。 ------ アッシジの趣きある駅舎に到着。 荷物を預けて、バスを待つ。 遠くにポツポツの煙が立ち上る山が見える。 やっときたバスの乗り込むと、ゆらゆらと山道を上っていき、町の中心部に近い場所で降ろされた。 目的もなく、アッシジの町を歩いてみる。 期待していたとおり、石畳の静かな町。落ち着いた佇まい。 通りは、そこに住む人々のおかげで、きれいに掃き清められている。 ![]() この石造りの町並みに夜、ランタンのライトが灯ったら・・・、と想像すると、無理やりでも一泊してみたい衝動に駆られる。 たまたま上っていった坂の上に、砦があった。 中に入ろうとすると、気づかなかったがちゃんとチケット売り場があったようで、「もしもし、お嬢さん」と呼び止められた。「ごめんね、有料なんです」と終始ニコヤカに嫌味なく応対してくれたおじさん。 たまたま道を掃いていたおばあさんや、バスのチケットを買うために入ったBarのおばさんなど、皆感じがよかった。 帰国後、私もアッシジに行ったという女性に会ったが、「あの町、日帰りにしといてよかった。あそこで一晩過ごすのはキツイと思いましたよー」と言っていた。人によって感じ方が全く違うのだと改めて気づく。とは言ってもその人は、「ヴェネツィアは海の臭いで臭かった」とか文句ばかり言う、悪日本人観光客の典型だったけれど。 日本人の視点で勝手気ままイメージを作り上げて、行ってみたら「汚い、期待はずれ、不味い」などマイナスイメージばかり強調して、他人の国を荒らして帰ってくる。 そんな馬鹿な旅行者にだけはなりたくないものだ。 2003年 10月 30日
三日間のお急ぎツアーを終えて、ローマを経つ。
初めての男女同室ホステル。 ローマだけにありとあらゆる国籍の人と、同じ部屋になり、心配で二段ベッドの上にリュックを上げて、狭い中で寝たり、酔って帰ってきたアメリカ人女性のイビキがうるさかったりと、いろいろなことがあった。(彼女はその夜、飲んで帰ってきて、財布を無くしたらしい。ホステルのスタッフの女性に20ユーロめぐんでもらっていた。) 正直、やっと出れて嬉しかったけど、最後の最後で話したアメリカ人女性に、私も明日フィレンツェに向かうんだよと言うと、「明日の朝起こしてくれる?」と頼まれた。ちょっと近づけたような気がして、嬉しかった。出発の朝、「多分会うかもね」とさわやかな笑顔をくれた。 別のベッドで寝ている香港人の女性。実は最初あまりに話しかけてくるので、正直うっとうしく感じていたのだが、その彼女が日本語のガイドブックを読んでいた。 聞くと、「日本語は少し理解できるの」と。 そのことになんだか感動を覚えて、これから南、マルタの方向へ向かうという彼女に、私が持っていたガイドブック「地球の歩き方 南ヨーロッパ・マルタ」をあげた。 私も誰かから譲り受けたもので、この先誰か日本人に出会ったらあげようと思っていたところだったのだ。 アメリカ、イギリス、オーストラリア、香港など、イングリッシュネイティブと話すのを自信のなさから正直避けていた。外から帰ってきたら日記をつけ、早めに寝て、起きたらすぐ外出。 だまりっぱなしで、会話のチャンスを避けていた。 でも一言二言でも言葉を交わして、目を見て笑顔で接することができると、一人の中で曇っていた考えも、あっという間に晴れてしまう。それまでの自分を後悔する。 2003年 10月 29日
ローマ観光最終日。
小雨が降る中、コロッセウムを観光。 地中海沿岸に点在する円形闘技場跡。 曇り空だったからだろうか、 チュニジアで青空に映える円形闘技場跡を見たあとでは、正直あまり感動を覚えなかった。 ![]() その後、完全無料のフォロロマーノを散策。いつもながら、日本人の私は、2000年前の生活レベルの高さに驚きを覚える。 曇った天気にも影響されたのか、のんびり歩きながら過去や未来に想いをめぐらせながら、古代人の生活を想像しようとしてみても、現代の人間の生活が近くにありすぎて難しく、自然と別の考え事をしてしまっていた。 「働く」とは何か?から始まって、親の世代と若者世代とのギャップ。「苦しんで」物事の成果を得たがる日本人の習性と、ヨーロピアンの考え方とのギャップ。 自分の高校の頃を思い出す。 もし今、自分の過去の選択を後悔しているかと聞かれたら、「No」と答える自信がある。 「今の自分が好きか」と聞かれたら、「Yes」と答えられる。 今ストレスを全く感じないのは、自分の国の中にいないから。「責任」を負わなくていい無責任な立場だから。 今ホステルで同室のアメリカ女性。 アメリカンというだけあって、個があって意見がはっきりしている。さばさば、きっぱり。 その人が言っていた。「アメリカはreally rediculus(ホントばかげた国よね)」 本場のアメリカ人の意見を生で聞けて、アメリカに偏見があった私は、嬉しかった。 ヨーロッパに来るまでは、ヨーロピアンとアメリカン、すべて同じ目で見ていたが、特にスウェーデン人を例にとって見ても、まったくタイプが異なる。 そんなことを考えながら、ローマの休日で有名な「真実の口」へ。 実際、手を入れてみると、そりゃちょっとビビリ感あり。 ![]() ガイドブックに載っている、マルタ騎士団広場にも行ってみたが、特になんてことは無い閑静な住宅街だった。
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